茂木食堂のみなさん:山形県川西町にUターン。駅前の老舗食堂が世代交代

かけがえのない宝物

注文をして、出来上がるまでお喋りしながらまつ。

 川西町出身の小説家、井上ひさしさんの著書「下駄の上の卵」にも登場する川西町の玄関羽前小松駅。この駅が開業した大正15年に、喫茶休憩所として初代が創業したときから行き交う人々のおなかと心を満たす食堂に、未来の若旦那が平成24年の夏、帰ってきました。

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 慣れ親しんだ京都から川西へと帰ってきたのは、茂木晶さん。中学生のころから大好きなホッケーを続け、全国強豪校のチームでホッケーに明け暮れた学生時代を過ごした晶さんはまま京都の会社に就職。バリバリ仕事に勢を出す日々を送る中、仕事先で出会った優美さんと結婚。そんな晶さんが川西町へのUターンを決めたきっかけはなんだったのでしょう。

 それまで、食堂を継ぐことも、故郷に戻ることも特別に意識したことなんかなかった。両親からも「好き

なことしていたらいい」と言われて育った。休みで帰ってくると地元の仲間からは、「帰ってきてほしいらしいぞ」と言われたりもしてたけれど。数年前、体調を崩した親父が「帰ってきたらいいな」と、初めて言った。その一言を聞いて、「帰ろう」って決めた。

 春からは、食堂を手伝うかたわら、調理師学校で本格的に調理を学ぶ晶さん。将来は、気軽にお酒や一品料理を楽しめるようなお店をつくっていきたいと夢を語ります。

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注文が入ると慌ただしくなる厨房。晶さんは早くも厨房の
 一員。

 奥さんの優美さんは、京都生まれ京都育ちの京都人。昼夜問わず命を守る手術室で、看護士さんを務めていました。優美さんと出会ったころには、川西に帰ると決めていた晶さん。結婚後に川西で暮らす覚悟はできていたけれど、知らない土地での生活に不安もいっぱいだそう。車社会の川西町、信号ない道では歩いて道向こうのお店にも怖くて行けないー(笑)「言葉も文化も生活のスタイルも違う。それから味の濃さも違う。」「川西町に来たばかりでいろいろととまどうことも驚くことのほうがまだ多いけれど、初めて出会う人々の温かさに助けられている」と笑顔の優美さんです。

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 雪がとけて花が咲き始める春には、第一子が生まれるお二人。暮らしと仕事と育児。ふるさとの町で、または、新しい場所で始まった生活に、またひとつ嬉しい変化が訪れます。

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 素敵な笑顔の家族のみなさんが切り盛りする茂木食堂。4代目の茂木食堂のご主人、輝夫さんと圭子さんにもお話を伺いました。実は、サラリーマンから転身されて厨房に入った輝夫さん。子どもたちには、「自由に好きなことをして生きていってほしい」と思っていたけれど、晶さんから「帰ってくる」と聞いたときは嬉しかった。厳しいこともたくさんあるけれど、それでもやる。と晶さんの強い意志を聞いて「それならば」と新しいスタートを切った茂木家としての一面がそこにありました。

 川釣りに海釣り、山や海にキャンプへと親子でアウトドア遊びを楽しんだ子育ての日々。転身後も圭子さんとおばあちゃんと共に店をきりもりしながら、冬はスキーや、ホッケーの遠征へと出かける毎日だったそうです。そんな輝夫さんの特技はDIY。この冬登場した暖かなペレットストーブを囲むギャラリーやちょっとしたお店の修理は全て輝夫さん。夏には食堂にビアガーデンがオープンするなど、次々に新しいことがはじまる楽しい食堂の理由はここにあったようです。

圭子さんと一緒にゴルフへ行ったり、愛犬をつれてカフェにでかけたりと、毎日の仕事も余暇も楽しく過ごされているお二人。そんなお二人に、引退の時期を質問すると「引退はなくて一生かな。仕事とともに楽しむことができたら。」と、笑顔の圭子さんの答えがかえってきました。

晶さんが作ったたまごそば。おいしく頂きました。

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 帰ってきた晶さんと川西に来たばかりの優美さんには、慣れないことも多いだろうし心配することもあるけれど、わたしたちもあわてず、二人にもあわてずにゆっくりゆっくりと慣れていってほしいと話す輝夫さんと圭子さん。

 新たな風が吹き込んで、ますます笑顔いっぱいの茂木食堂。これからも色々なトピックが舞い込んできそうな予感です。

ご飯が届くとお喋りをやめ、むしゃむしゃ。